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異なる他者を受け入れる2019.09.25 Wednesday
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JUGEMテーマ:幸せなアンチエイジングの習慣
久しぶりに書いています。
いよいよ、東京オリンピック、パラリンピック開催まで一年もきって、テレビなどでも話題に上るようになってきました。
そんな中、今日、ハッとすることがありました。
パラリンピックはなぜ必要なのか?という質問でした。
テレビで、その質問を「とても素晴らしい質問です。」と言って答えていた、パラリンピック委員会のパーソンズ会長。
彼の言葉に、ハッとさせられました。
「それは、異なる他者を受け入れるということにつながるからなのです。」
という言葉でした。
今、色々な国での紛争や戦争が起きていて、それは宗教や考え方の違いなどから、異なる他者を排除しようとするところから来ている。
そういった現代だからこそ、このパラリンピックが必要なのだと、言っていました。
障害という様々な個性を持った、他者とは異なる人たちを社会全体が受け入れることが必要なのだと。
他者とは「他」ということで、「普通」ということでもないんだと、改めて思いました。
世のなかで、つい私たちは、「普通」と違うとか「普通」と同じとか、そういったことで枠を決めて、判断基準としてしまいがちです。
普通よりも違っていると、それが「おかしい」とか「変わってる」とかいうことになり、
また、普通よりもいい意味で違っていると、それは「すごい」とか「優秀」とかになる。
私自身も、気づかないうちに、よく姪っ子のことを「彼女は普通よりもすごいよね、物覚えがいいし、やっぱりすごいよ」などと、「普通」という枠組みを基準に彼女を判断したりしていることに気づかされます。
「普通」がなんなのか。
「普通」って、きっと社会の大勢の集団。
それは、時に学校という枠組みだったり、クラスという枠組みだったり、会社という枠組みだったり、あるいは、地域、国、文化、宗教、さまざまです。
そして、こういった枠組みを基準にして、私たちはその中のその他大勢と比べて、違っていると、「違うのはおかしい」と排除したり、訂正したり、します。
だけど、もしも、みんなが違うのが当たり前だったら、
他者はみんな異なるのが当たり前だったら、違いを受け入れることができるんだろうなと思うのです。
受け入れることで、社会全体が異なる他者だらけで、そうしたらいじめとか、差別とかそういったこともなくなるんだろうなと思います。
なかなか難しいけれど、きっと、人間の基本なんだと思うのです。
異なる他者を受け入れるということが。
それは、人種や見た目が違うこともあるだろうし、考え方や価値観が違うこともあるだろうし、また、行動ややることすべてが違うこともあると思います。
その中には障害ももちろん入っていて、障害のある人は、それがその人たちの個性で、なにもマイナスなのではないんだと思うのです。
五体満足という言葉がありますが、その五体満足を基準にしたら、障害のある人たちはどこかが欠けていることもあるかもしれない。
ですが、その欠けている分を補うにあまりある、他の部分でとても秀でているところが必ずあるのです。
それがその人自身の個性を作り出している。
だからこそ、異なる他者を受け入れることが人として、一番大切な基本となることなんだろうなと思うのです。
なぜなら、私たち人間は、人と関わらないで生きていくことはできないから。
そんなことを改めて考えさせてもらえた、パラリンピック委員会の会長の言葉でした。
彼は、「東京でパラリンピックが開催されたら、社会が変わるはず。障害者をもっと受け入れる社会に変わっていくはず。だから、パラリンピックを見に行ってください。沿道で応援してください。」
と言っていました。
自分の目で実際に見ることで、感じることで、感動が伝わるんだろうなと思います。
そして、その感動が一人ひとりの心を変えていく。
私もその一人になりたいと思いました。
来年は、オリンピックと同じように、パラリンピックも楽しみに見ようと決心した朝でした。
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